先師供養を行いました

供養

本日は所長が在家時代にいたお寺の開基上人の御命日でした。夕勤にて先師供養を一座修しました。

体調がすぐれなくて記事を書いておりませんが、一日には経木塔婆と流水灌頂のいじめ自死者供養の申し込みがありました。四日は山家会で天台宗では基本的にしない報恩塔婆を書きました。

本題に戻ります。

改めて文章にまとめたいと思っておりますが…所長は在家時代に修行をさせていただいているお寺がありました。

ご住職が親身になって実に厳しい指導を受けてきました、色々と厳しい修行に耐えられずこのままお寺にいても迷惑しかからないし愚鈍な自分は無理だと追い込んでしまい…自死を検討するほど追い込まれておりました。

朝参りの後に在家時代にいたお寺の本堂の裏に開基上人の霊廟がありました。私は勝手に奥の院と呼んでいましたが…住職の御祖母様にあたる開基上人の御宝前でその日の叱られたこと等をお題目をお唱えして報告しておりました。ある日に生きていてもしょうがないと思い…奥の院でお暇のお題目を唱えておりましたら当時法友だった元兄弟子が「どうしようも無かったら天台宗に来なさい」と言っていたのが頭に浮かんで得度寺に出奔亡命することになりました。

そういうご縁が重なって天台宗の伝承法流の一派であります修験道法流寺院で得度させて頂いて比叡山行院にて修行させていただいてその後も色々とあって今現在は天台宗系の和宗福智山香仙院に客人として置いて頂いて横浜出張所を開いております。

この不思議なご縁というか因縁がありまして、得度寺は御開基上人の故郷にありました、そして修験道法流大元は無動寺修験道です。修験道法流の根本霊場である比叡山無動寺は戦時中に法華宗本門流昭和法難の時に本門流の関係者が特高から身を隠す目為に潜伏した霊場です。その関係者の中に開基上人の師僧であられた松井日宏上人も含まれておりました。

出奔という手段はたしかによろしくは無い事ですが、今こうして生きて御給仕させて戴いている事に感謝して一座ご回向させていただきました。

南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経

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