「自分が原因だとは思っていない」大声で叱責され涙を流した15歳の男子中学生が直後に自殺…女性教師が法廷で口にした“異様すぎる感覚”とは
↑のヤフーニュースを読んで胸を締め付けられました、自殺した中学生の気持ちは痛いほどにわかる。
加害者は自分がやった事は悪いと思っていないのだと思う
私も自殺寸前まで追い込まれたのでこの少年に自分の経験を投影して書くと色々と追い込まれたのだと思う。要点として宿題等の課題をやってこなかった方が悪いそれは当たり前だ。
何度も書くが私の経験というフィルターを通して書くが…
自身への叱責だけではなく、家族や第三者を巻き込んだ叱責という誹謗中傷まで言われたのなら本当に申し訳ないと思う気持ちからいっそう自分を追い込んだのだろうと思う。
「お前の周りの人間はカスだ」とか、「今のお前は地獄にいるんだから救ってやろうとしてんだ」等の言葉でいっそう地獄に突き落とされて自滅で壊れていた心に外部からの言葉にとどめをさされて死を選んだ方がいいのではとなりました。ただ私自身の行いが悪いからそうなったという事は忘れてはいけないのですが…
向こうもそこまで追い込まれていたといえばそうだと思いますしでも超えちゃいけない一線があるとは思うのです。その半年前に言われた後ろ拝み否定発言とか…
私もそうですが言った事って言われた側しか覚えてない方が多いです。
あまり書くとアレですが…比叡山の修行で一番驚いたのは「まともな人として扱われて」驚くほど追い込まれていたことに気が付きました。
思わず
「人として扱って下さるんですね…」
口についてしまい
「どういう扱いされてきた?」
のと言われたの思い出したり…
修行に入る=人として扱われないという自己経験を元に考えていたので…
私の経験を通してこのニュースについて語れば中学生は心のコップにめいいっぱいの泥水を入れられた処に泥の氷を投げ込まれてその器が限界を超えて崩壊したのだと思う。
逆に教師側からみたらこれ位当たり前という感覚だったんだろうとも…
寺の常識は在家の非常識、在家の常識は寺の非常識という感じた事がありました。環境が違えば色々と違う…
坊主は男芸者だという御上人がいた、男芸者=太鼓持ちなのでヨイショ出来ないから私は色々と追い込まれた。世渡りとヨイショが上手ければこんなに悩まなかったのかなぁと思ったり…私がヨイショすると昭和のいるこいるの漫才になるからやめた方がいいので…なんにしても単立で野良犬として生きている方が私の性に合うのは確かでしてね。
話を元に戻して生活や経験による環境のギャップは埋め切れるものでありません。昔だったら罪障因縁とか言っていましたが大学で基礎仏教ならってからそれは違うかなと思い…
運が悪かったですねとしか今の私には言えないという…
どういう声掛けが適切なんでしょうね…正直な話わかりません。
なんにしても私も何時言わなくていい事を言って人を傷つけるかわからないので気をつけたいと思う。


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