神奈川区に和カイロプラクティックという整体院がありました、所長と歳が同い年で生まれは一月半早かった超世院釈和眼居士こと俗名本田和久居士(以下本田居士)の七回忌をさせて頂きました。
本田居士は長崎県長崎市の出身で所長の在家時代から友達であり檀那でありました。本田居士は実家は浄土真宗本願寺派で一代法華で所長を整体と胃袋をよくしていただいておりました。
横浜出張所が開設されるきっかけを作ったのは本田居士との何気ない会話でした。
「〇〇〇さん(得度前の名前)、私は豊太閤タイプの三面大黒天を祀りたいんですけれどどこにも有りません、まずは教えて頂いた普通の升入り三面大黒天からゆくゆくは豊太閤型の三面大黒天を祀りたいです」と在家時代に言われまして在家時代に寺男をしていたお寺の住職に三面大黒天を開眼していただきました。
本田居士はよく飲みにつれて行ってくれましたが、私は飲むのより食べるのが好きなので笑いながら
「私は智晃さんを太らせるのが楽しいんですよ もっと食べてください」
とよく食べさせられました…本当にお旦だなぁと思ったのが…比叡山行院に入る前に壮行会開いてくれて…
「智晃さん食べてください。もっと食べて太ってください。僕は貴方を比叡山に出荷するんです、丸々太った坊主をお山に出荷するんです。ドナドナです」
正式な灌頂受けていないから祈祷は出来ないけれど読経に行院から痩せて帰ってきたら…
「ああ…痩せちゃった、もう一回私が太らせて出荷前より太らせます」
ってようごちそうになりました。そんな感じでおりましたところ…
六年前の今日突然急死されてしまいました…。豊太閤型の三面大黒天勧請する約束じゃなかったのかいと大泣きに泣きました… 元引きこもりで初めて同い年の友達ができたと喜んでいた私には悲しみが…募るばかり…そこから和大黒天の勧請を発願しました。
子年の子の月に三面大黒天を開眼する話をまとめるにあたりご縁があって豊太閤型の三面大黒天を先代の森平道大和尚に開眼していただきそのまま安置しておりました。翌年香仙院横浜出張所を委任され和三面大黒天は香仙院横浜出張所護法尊として九州の本院の分霊として祀られました。
いつか同い年の仏師さんと知り合えたなら豊太閤型の三面大黒天を彫って頂けたらと思っております。
本来なら和カイロプラクティックがあった東白楽のなごみ庵さんで七回忌の法要をお願いしたかったのですが私が心不全で死にかけて救急搬送されたため横浜出張所にての私一人の七回忌法要となりました。
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