学校へ行きたくない君へ 元不登校僧侶のメッセージ

いじめ自死者供養会

毎年夏休み明け前後に自死を選ぶ子供たちが居ると聞いて僧侶となってから夏休み前後自死者供養を旧寂光庵の時に始めてから五年目になります。

「いじめ自死並不慮事故死等幼児童生徒供養会」を修す理由にもどういう理由で始めたのか書いておりますが、一人でも生き延びて欲しいと願っています。

中国の兵法書に「兵法三十六計」という物が有ります。聞くところによると二十世紀まで兵法書として名前は知られていたけれど全編は遺失していたそうです。日本のことわざに「三十六計逃げるに如かず」が有ります。兵法三十六計と言う兵法書には逃げるに限ると書いて有る事だけは確かだと伝わっていたそうです…ちなみに私の座右の銘の一つです。色々とコヂらせ過ぎて今だってチャンスが来てるのに逃げる…何度もチャンスを壊してきました。兵法三十六計の逃げる事については本来の意味は違います。

兵法三十六計 第三十六計走為上 

とあります。一度退却してまずは命を守り次のチャンスに盛り返しなさいと言う教えです。もし今自殺というか自決を考えているのなら逃げて欲しいと思います。お前は逃げろと言うけれど逃げ場が無いと言うお叱りは重々承知しています。でも逃げない事には先へは進めません。うなぎのつかみ合いのような話ですけれど…私もそういう居場所を作れれば一番いいのですが、持病の心不全とお付き合いしながら日々生きるのがやっとでございます。

特に信仰で切り抜けろとは言いません、私は信仰と今風で言うと「推し活」があったから生き延びてきました。そういう心の支えを持ってほしいと思うのです。

私の不登校はいじめと好きでもない部活に入れられた事による反動でした。勉強にはついていけない、身体を動かす運動は嫌い。帰宅したら寝るだけの繰り返しの日々から親が心配して慢性腎炎でお世話になっていた川崎市立川崎病院の小児科部長だった武内可尚先生に紹介状を書いていただき信濃町の某大学病院の精神科医のカウンセリングを受けました。

夏休みじゃなくて冬休み前なんですけれどね…精神科の先生から「行きたくないなら学校行かなくていいよ」と言われてそれはそれは大喜びでした。でもね虚しさがでまとわりついてましてね…

その頃は信仰とか仏教とか全然無縁で…子供の科学やニュートン読んで、たまに川崎にいた戦前からの共産党の活動家だった老翁に戦前の非合法時代の話とかその方がエンジニアとして活動していた原子力発電の話とか聞いて科学っ子でした。今じゃさっぱりわかりませんけれどね…

中1のある日の夜に多分第2か第3の金曜日か土曜日の夜中小学校の時から視聴していた魔神英雄伝ワタルのラジオ番組聞いて寝るかなと思った時に、凄く元気な声で語る人が居るなぁと聞き込み沼に堕ちたのが声優の國府田マリ子さんでした。あのハイテンションの語りにはまり心の支えとして生きてきました。今もですけれど…心臓の手術について怯えていた時に一応本人ではなくファンクラブの事務局管理となっている國府田マリ子公式ファンサイトから励ましの言葉を頂き感無量でした。

ドンドン話が脱線していますが、生きていれば苦しみや悲しみも有りますし、楽しいこともあります。

日蓮大聖人は信者さんに宛てた手紙に「冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。」と書いております。

今苦しくても必ず楽しみは訪れます。楽が来れば苦も後から交互に来るもんですけれど…笑い飛ばせる日が必ず来ます。

30後半に厳しい環境に耐え切れずに逃げるか死ぬかと悩んだことが有りました。死ぬより36計逃げるに如かずだ逃げようと天台宗の寺院の門を叩いて亡命して今は比叡山の法友の同期の御寺の客分として今こうしてお寺のブログで届くか判りませんが一人で悩んでいる人に届けばと無い頭なりに駄文を書いています。

コントロールは難しいけれど必ず理解者や仲間が出てきます。なので不登校になってでも生き延びて欲しいのです。

私は國府田マリ子さんをはじめとして色々な方に助けられて生きてきました。恩返しは遠い世界です…でもいじめや人生のつまづきで辛い人に前を見て生きて欲しいと思い書いています。

私でよければお茶をしたり話を聞くことならできます。ますば生きて欲しいそれだけです。

所長が働いている介護施設でケアラーズカフェすまいるという会を開く予定ではいます。介護施設内でやるのでコロナが怖くて非開催ですけれど…開催は御寺でも告知しますので是非お越しください。

グダグダな文章ですみません。

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