令和8年度いじめ自死指導死並不慮事故死等幼児童生徒霊総供養開始しました

徒然

本日から九月二日まで、ご供養させていただきます。

昨年九月受付分から本年八月までにお申し込みいただいた、いじめ自死者供養の塔婆施主のお名前を読み上げるとともに、施主家先祖代々有縁精霊の供養をさせていただいております。

今回は無縁霊と有縁霊、双方の霊位供養となります。

赤鼻身代わり地蔵三尊は、まだ開眼されておりませんので、今年の総供養では本尊とはなっておりません。

開眼いたしましたら、改めてご報告させていただきます。

先日、國府田マリ子大姉の「レインボービーム」を拝聴していたところ、北国では八月十七日頃から始業式を迎えるというメールが読まれていました。

かれこれ十年前に比叡山行院の修行を遂業させていただきました。

元いじめられっ子として生き延びた人間として、僧侶になった自分に何が出来るのかと考え、いじめを苦に亡くなられた方々を九月一日前後の三日間供養することから始まりました。

始めた当時は旧寂光庵講社での小さな供養でしたが、形を変えながら現在まで続き、今は福智山香仙院横浜出張所で毎月一日に、いじめ・自死・指導死・不慮事故死等によって亡くなられた幼児童生徒諸精霊の供養を修しております。

横浜出張所では、福祉に関わる活動もしております。

生きて苦しんでいる人に手を差し伸べることと、亡くなられた方を忘れずに供養することは、私の中では切り離されたものではありません。

生きている間に助けが届かなかった方もいたでしょう。

誰にも苦しみを打ち明けられず、あるいは打ち明けても受け止めてもらえずに亡くなられた方もいると思います。

ならばせめて亡くなられた後に、忘れず名前を読み、塔婆を立て、手を合わせる者がいてもいい。

そう思って横浜出張所でも供養を続けています。

初めは九月一日前後の三日間でした。

しかし、先に書いた通り夏休みが終わる日は全国一律ではありません。北国では八月半ばには始業式を迎える地域もあります。

それなら九月一日だけを見ていてはいけないのだろうと思い、横浜では八月第四月曜日頃から新学期を迎える学校もあることから、数年前より供養の開始を一週間ほど繰り上げるようになりました。

今年は八月二十四日頃が始業式ではないかと考え、その前日の八月二十三日から九月二日まで期間を広げ、「いじめ自死者総供養」として修することにいたしました。

怨みの念がこの世に残されているのなら鎮め、悲しみ彷徨う霊がいるのなら慰めたい。

そんな思いで始めた祈りも、早いもので十年目となりました。

以前、「中身が無い祈り」と言われたことがあります。

確かに祈ったからといって、明日からいじめが無くなるわけではありません。

供養をしたからといって、学校が安全な場所になるわけでもありません。

それでも私は、亡くなられた方を忘れないために祈ります。

その人が確かに生きていたことを忘れないために祈ります。

そして今も、学校へ行くことが怖い、明日が来ることが怖いと思っている人がいることを忘れないためにも、祈りたいと思っています。

私自身はいじめられる側の人間でした。

しかし、人間は弱いものです。

いじめられた経験があるからといって、自分は絶対に人を傷つけない側の人間であるなどとは思っていません。

何かの拍子に、いじめる側へ転ぶかもしれない。

腹が立てば八つ当たりをしたくなることもありますし、過去を思い出して怨みを晴らしたいと思う気持ちも、私の中にはあります。

伝教大師最澄の御遺告には、

「怨みをもって怨みに報ぜば怨み止まず、徳をもって怨みに報ぜば怨みすなわち尽く」

とあります。

言葉にすれば短いものですが、徳をもって怨みに報いることなど簡単には出来ません。

だからこそ私自身への戒めとして、この言葉を忘れないようにしたいと思っています。

一方で、亡くなられた方々に向かって簡単に「怨むな」と言うつもりもありません。

怨みには怨むだけの理由があり、悲しみには悲しむだけの理由があり、悔しさにもその人なりの理由があります。

その思いまで否定して供養になるとは、私は思いません。

ただ、もし怨みの念に縛られているのなら少しでも鎮まり、悲しみの中を彷徨っているのなら少しでも慰められ、仏縁に遇って安らかになっていただきたい。

そんなことを願いながら、九月二日の結願まで、有縁無縁の諸精霊をご供養させていただきます。

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