どうも世界の寂光庵です(=゚ω゚)ノ
先月リアルで言う機会がありまして…
「どこの世界かと申しますと、♪三千世界の烏を殺し ヨイヨイ 主と朝寝をしてみたい よ~いよ~いでっかんしょい」
ってやる予定が夏なのでキンチョー(緊張)してセリフぶっ飛んだという…
こういう与太話を書いていて9割完成したらデータが飛びました…幸い半分は残っていたので書き直して投稿します。
ビッグイヤーズショーの思い出
本題に入る前に数週間前にパソコンのデータ整理していたら懐かしい画像が出てきました
10年前に父の新盆供養で当時いたお寺でさせて頂いた時のビッグイヤーズショーの記念写真です。当時の私は寺男やっていてメイクしている暇が無くて慌てて着替えたのも懐かしい思い出です。ちなみに真ん中でRONE&GiGiに挟まれているクラウンは今大学生になってる甥っ子です。
しみじみと思ったのですが、遠くの親戚より近くの他人と申しますが…所長が10代から生きる支えにしている声優の國府田マリ子大姉や林原めぐみ閣下という雲の上の存在より、30代に首の皮一枚まで追い込まれた時に踏んりきる力をくれた近くのRONE&Gigiと愉快な仲間たちだったなぁと…最近というかここ数年國府田のマリ大姉(ねえ)がTwitter(去年の4月までだけど)やらのほほんツイキャスで絡んでくれてますけれど…30代はマリ大姉空白期間かもしれない…
そんな話どうでもいい話ははさておきどさくさ紛れに宣伝です。
私が復帰したクラウンスクールの講師であるRONE&Gigiのビッグイヤーズショーが8月10日に神保町で開催されました。このブログ加筆していて公開遅れてしまいましたので過去形で載せておきます。
下記パンフ画像にリンク張っておきますのでご覧ください。
9月には表参道でライブが開催されます。こちらもリンクを画像に貼ってありますのでよろしければご覧ください
クラウンスクールに復帰しました
先月からスタジオセサミ東京のクラウンスクールに復帰しました。
数年前にコロナの制限もあった時にクラウンスクールを退学しておりました。赤い鼻教室からいれると足掛け10年以上所属していたのではないかと思います。
セサミとの出会いは多分干支一周はしていると思うのですが家業の情報収取で立ち寄った幸区日吉文館で「コミュニケーション講座クラウンになろう」というチラシを貰ったのがきっかけでした。
当時は地元のお寺で寺男やりながら今も変らないけれどコミュ障なんとかしたくて学びに行ったのが始まりでした。元々他人様と笑い合う事が好きでしたしそういう家庭環境だったので楽しかったのもありました。
辞めた後はたまにお寺と教会の親なきあと相談室等のイベントで友人の落語家春風亭昇吉師匠呼んで私は前座やってました。
それ以外はほぼぼけぇと鳴かず飛ばずじゃなくて鳴かないし飛ばないでした。もうね、やる気が無かった。
あっ、声優の國府田マリ子大姉が東京タワーclub333ライブやる時になると恋の山手線國府田マリ子東京タワーclub333liveバージョンツイキャスとかでやってましたね…今年も9月と10月のライブ当たるといいなぁ… マリ大姉(ねえ)にあって心のデトックスしないと
6月に比叡山行院の同期会がありまして、山の先生との会話で
先生「あんた、カバンに(クラウンの赤い)鼻仕込んでるんかい?」
私「いえ、最近お休みしてます」
先生「さよか…(´・ω・`)」
ってのがありました。これも今回の復帰のきっかけの一つ
それとは別に…私は異性を意識すると中二病こぢらせて思考回路ショートするという話を含めて安心して腹の中をさらせる友人がいまして…失って友達以上恋人未満の関係だったと気が付いたんですがね…今年の初夢で國府田マリ子大姉が出てきたので親しくしている異性の友人がいるけれど彼女いない歴=年齢のキモオタなので告白なんていう事したら失礼になるといけないし…さてさてどうしたものかと相談したところ…「遅かれ早かれ傷つくなら行動して後悔した方がいいと思うの…」というお告げを聞きながら色々意識するとこぢらせてしまうので…春先にやっといざ鎌倉と覚悟したら音信不通でと…
山の先生に話したら友人は結婚したという事実を知り…山の先生から私が失恋しているという事実を聞きました…帰宅して音信不通の友人との縁の感謝の祈りをささげてましたところ…
「所長よ、失恋に凹むよりそれを笑いに変えよ。クラウンスクールに戻って一から学びなおせ」
と頭に浮かんできたのです。よくよく思い出したら比叡山行院の地で
「赤鼻の上人と呼ばれる僧侶になります!!」
と請願立てながら色々と流されていた自分に気が付きました。赤鼻上人については別項目に書きます。
そんな事があってよし学び直そうとセサミに連絡したところ、運がいいことに七月からクラウンスクール新学期開始だと言うじゃないですか!! 何年もブランクがあるから見学に来てくださいとお声がけいただきました。
見学に行ってン年ぶりに会う先輩と目が有ったら向こうから
「八-----瀬く-----ん、元気してたーーーー」
って走ってくるので通常だとサッと避けるのですがこちらからも両手広げて駆け寄りました。熱烈ハグされて自分にとって大切な居場所はまだあった!!と実感させていただきました。
丁度10年前心を壊してしまい夢等という言葉も無くなった時に講師のGigi先生から
「セサミで心の筋トレをしてやり直せばいいじゃない」
という事で心の筋トレさせて頂いて今があります。
クラウンスクール通って好かったこと
①コミュニケーションスキルが学べる
実践できているかどうかはさておき…口伝に入る部分が有るとかの前に文章にしにくいので受講してくださいとしか言えないけれど…一例としてアイコンタクトの重要性とか大変判りやすく学べます。
私の経験ですが心の筋トレが出来ます。
②学びがそれぞれの生活で応用できる
介護の現場で働く者、僧侶として個々の場所でスキルが役に立っています。元々語彙力無いから説明になってませんが…
ただ、密教の印を組んで観想する時のイメージって取っ付きにくいなと思ってました。自分は仏では無いけれどその印を受ける側に自分がいるならどうだろうか? そこで思い出したのがロネジジの劇場公演でマイムによる見立てでした。二人の手の動きの中に物体が見えるという体験が一僧侶として役に立っています。
ただ印どころかマイムの時も指が硬いのでそこは言及されると…(>_<)
③何時もとは違う自分に出会える
人って自分で自分の「型」というか「枠」を作っています、それとは違う何かに出会うチャンスを私は得たのでそれも記しておきます。
④幅広い世代の人と交流が出来る
もう辞めてしまいましたが大学生になった甥っ子が小学生の時から通ってました。プロのパフォーマーから主婦とかヘルパーとか幅広い世代や考えを持つ人と交流することが出来ます。
まだ色々探せばありますがまたデータ吹っ飛んだら悲しいので自重します。
身代わり地蔵三尊勧進の事
クラウンを学んでいた事で当初の予定から変わったのが身代わり地蔵三尊の勧進のお話。
最初は普通のお地蔵さんを彫って貰う予定でした、途中でお地蔵さんの鼻を赤くして貰おうと変更になりました。
元々このお地蔵さんは私のライフワークであるいじめ自死者供養から始まっています。
セサミでクラウンを学ばせて頂きクラウンという存在を私なりに学び考えて誰かに寄り添う存在だなと思いました。地蔵菩薩の代受苦の誓願、簡単に言えば身代わりになって苦しみを受けますと言う誓いとピエロの涙の由来と重なると思ったのです。
ある日の瞑想というか妄想で心に浮かんできたのが
この御地蔵様の本地は地涌の菩薩で「道化菩薩」、鼻が赤く娑婆の苦悩の身代わりと自死者と不慮の事故等で亡くなった子供の霊を供養すると言う誓願を立てている。鼻が赤く代受苦の誓願を現すと。
いじめや人間関係を含めた苦しんでいる人の心の安寧になればという祈りを表わすために、赤い鼻をつけた身代わり地蔵三尊を造立したいと思っております。
ピエロは目の下に涙を描いております、一説によると…
「もう貴方は泣かないで欲しい、その苦しみは僕が背負うよ だから僕の道化で笑って」
という意味が込められていると学びました。
クラウンはお地蔵様と同じく悲しみに寄り添う存在です、赤い鼻の地蔵尊は経典や儀軌(ぎき=マニュアル)等の根拠はありません。
十年以上クラウンを学び実践した僧侶として感得した御像になります。
地蔵尊が持つ錫杖は蛇や猛獣を追い払い、もう一方の手に持つ如意宝珠は富等の宝物を表します。生きている今もそして亡くなっても共にいてくださる菩薩様になられると思います。
赤鼻上人というけれど…
比叡山で赤鼻の上人になりますと誓ったけれど…諸行無常ですのであちらこちらと心は移って行ってしまうので忘れていたという…
修行していた時とその後色々とあって流されて今は家業の介護の仕事しながら法友の寺に居候している状況だったり。おまけに数え4ン歳にして生まれて初めて告白しようと覚悟決めたらチャンス終わっていた言うショックからこうなったって…もう滅茶苦茶だし坊主なら色恋とか煩悩関係の執着断てよという話は置いといて…道化としてこれ面白いじゃないかとおいしい気持ちにはなってますがね…
仏教には毒鼓の縁(とっくの縁。私は法話やギャグでポイズンドラムという)という言葉がありまして、毒を塗った鼓の音色を聞くと毒が回って死んでしまうのですが来世では仏縁を得るというたとえ話があります。この度の縁もまたポイズンドラム撃ち込まれたと思っています。
得度して比叡山行院で̪修行させていただいた当時はお地蔵さんの代受苦とか頭に無くて、学も品も金もない自分は願人坊主になって笑かしに行くしかないと思ってました。僧侶として悲しみや苦しみに寄り添い笑いあえたらという気持ちでした。
私が学んでいるクラウン学校は宗教に帰依しないというスタンスなのでそこにあがなうのならこちとら明治政府に禁じられた願人坊主になるしかないという気持ちは元から有りましてね。願人坊主は偽物の僧侶ですからね。
宗教や政治と中立でいないと日本の場合難しいですからね、お寺と教会の親なきあと相談室も布教や勧誘はしないと中立性を保つためにコロッケそば社長…じゃないや文化時報社って新聞屋さんが関与されています。
海外では教会でクラウニングしながら布教もあるそうですが多分プロテスタントかなと思いますが基本的に文化が違いますしね。
願人坊主って何よ?という方の為に簡単に解説しますと願人坊主とは裸等の格好で冬場に水垢離祈願を代理でするものや大売り出しの呼び込み等をする大道芸人です。僧侶ではありませんが鞍馬山配下の芸人では有りました。
明治時代に猥雑というか猥褻な存在なので禁止令が出て廃止させられています。ふんどしは締めずにしめ縄股間にまいて拝みに来る物乞いってそれはそれで…今の時代なら猥褻物陳列罪で逮捕ですよね…
明治政府は外国にこういう猥雑な文化を見せたくないという考えから色々と規制をかけて来たそうです。これは私の考察ですが日本にクラウン文化が輸入されなかったのは海外の下卑た文化と取ったのかもしれないなと思いました。詳しくは判らないのですが、明治政府の頭脳を担うグループが最初は国学者だったのが儒者になったとかいう話を聞いたことがあります。個人的なイメージとして儒者って頭がが堅っ苦しい気がします
願人坊主の痕跡は今の時代ですと↓の動画の浮かれ坊主は願人坊主の所作を取り込んでいる作品です。舞台用に設定変えているので裸でも一応ふんどし締めてますね
他にも歌舞伎の法界坊があります。法界坊の設定は大道芸人の身に落ちた破戒僧なんです。実在した浄土真宗の僧侶がモデルなんだとか…
私なんかリアル法界坊というかほぼ設定を地で生きています。どうでもいい話ですが個人的には中村勘三郎の法界坊より二代目中村吉右衛門の法界坊が好きです。
法界坊は浅草待乳山聖天の近隣に住んでいる設定だと思いました、18代目中村屋さんが聖天様の信徒でそのご縁から隅田公園に平成中村座を始めたとか。初演行きましたけれどアレはよかったです。ってまた脱線している…
願人坊主のキャラクターとしてやりたくて資料探しているのですがどんな願人だったのか知りたいのがねこう院です。
もう願人坊主自体が絶えていますしそういう意味では一から構築していくしか無いのですよね。
幇間(太鼓持ち)芸のかっぽれは住吉踊りという大阪の住吉大社の願人坊主の踊りを江戸に梅坊主豊年斎という願人が持ち込んだものであります。
太鼓持ちは別名太閤持ちという豊太閤豊臣秀吉公の御伽衆から出ているという説が有ります。日本版宮廷道化師みたいなものなのかな?と思いながら調べ切れてません。御伽衆の曽呂利新左衛門とか調べようと思うところで止まっております。
曽呂利新左衛門を調べていて大正時代に二世曽呂利新左衛門という芸人がいて、「二世」に「偽」とかけているそうで…クラウンスクールの時のクラウンネームは八瀬満雄なので私が初代だけど二世付けるかなと…ちなみに二世八瀬満雄の読みは「にせはせまんゆう」ですよ。皆様音読みにして下さいね、私は率先して訓読みしますけど…(アカン
クラウンネームと言えばはせみつこ先生の元旦那の副島一郎氏が亡くなって著作権管理を委譲された団体とは亭号は長唄の某屋の亭号のように漢字の当て字を使うという条件で丸めましたが…誰かWikipedia更新してくれないかねぇ(何を)
全然赤鼻上人について言及してませんが…また振り出しに戻って…ここ数か月…いやもっと前かな?別件で身を固める覚悟を持つと言うのなら現状が宙ぶらりんの僧侶として生きているのもどうなんだろうか? これからどうしたいのか真剣に考えていました。
自分で願人坊主になればいいと思って生きてきたけれど本当はどうしたいの? 法友の寺の布教所にいさせていただいているけれど実際何をしたいの?と… 結論は出ぬままでした。
そこに山の先生のお言葉やら失恋のショックで拝んでいたら降りて来たお告げでクラウンを学び直せというのはポイズンドラム撃ち込まれたなぁと…
なのでただいま赤鼻上人とは何か?自分なりに模索してはいます。
数年前に法衣を着てパフォーマンスやる僧侶について色んな意見が飛び交いました。最近でもお寺の御宝前の前でクラブっていうんですか? よくわからないのですがダンス踊っていたりしたのを見ましたが…御宝前でやるという事については最近の私はよくないと思っています。10年前の在家時代だったらイケイケドンドン(古)だったと思います。
安心していただきたいことは私の場合寺が有りません、お寺と教会の寺無き相談室と福祉関係者からいじられてますから…
今出来る赤鼻上人とは? 考えて見ました
①法衣をまといながら目に見えぬ赤い鼻を着けてクラウンハートで縁ある方と共に生きていく
②令和の願人坊主として精進する。これはこれで生きて来た経験からと色々と言われそうなので願人坊主寂光庵流開く覚悟はいるなと…
少しずつまたセサミでクラウンの技術学ばせていただいて行こうと思います。(内の家族からは干支一周しても進歩が無いと言われてますが…
ただクラウン八瀬と願人坊主寂光庵は分けています。
仏教ネタやらないかやるかの差ですね。元々寂光庵というのは単立の寂光庵講社が得度寺から地元の教区から苦情来ているから庵を閉めろと言われて私の号になった訳でして。地元の教区の関係者からそんな話出てませんよと言われたりよくわかりません…
それはそうと枕でやる
「どうも、世界の寂光庵です」
地元の老僧が法話の枕で
「こんにちは、世界の大聖寺です」
って言っていたという話を近所のチョイ悪和尚に教えて頂いたのを拝借してってなったという。
ちなみにチョイ悪和尚は何かの時に
「宇宙の宝泉寺です」
とTwitterで言ってました。
そんな話はさておき基本的に私は供養はして祈願はしてこなかったのですが願人坊主は代参等の祈願を代行する芸人なので加持祈祷も出来ないといけないとは思っています。
九割完成した処で締めの文章どうしようと考えていたらをデータが吹っ飛んだので…ビクビクしながらどうやって締めようかと考えてます。
自分自身の脳内整理も兼ねて約一月かけてこのブログを書いてきました。赤鼻上人はどんな僧侶というか願人坊主になるのかこれから育てていけたらと思っています。
偶然一枚のチラシと出会ったことでこうして今を生きています。思えば30年前の深夜ラジオで偶然出会った國府田マリ子大姉もそうですが偶然良縁を手にしたからこそここまで生きてこれました。
山の修行中に人生二度目の心が折れる寸前まで行きました。10年前に心が折れた話を聞かされた仲間のドン引きされた顔が浮かんで来まして… ここで逃げたらもう家にも居られなくなるしそれよりもあの人のドン引きの顔はもう見たくないと踏ん張れたの思い出したので記しておきます。色々とヘタレなので面とお礼を言えてませんがね…そういう意味ではセサミには國府田マリ子大姉と並ぶ命の恩人がおられます。
と、またデータ吹っ飛ぶと怖いので駄文はこれ位にしておきます。
九拝
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