私の地元には大本山総持寺と言う曹洞宗の大本山がございます。
母は小学校の担任の先生に
「本山の僧侶はいつ何時死んでもいいように覚悟して準備をしているそうだよ」
と習ったそうです。この話を子供の頃から聞かされている私は比叡山行院から帰って来てノイローゼになる程考えこみました。
「何時死んでもいいような覚悟なんか出来てない…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル」
と…
去年お会いした曹洞宗の老師様に話したら
「それは江戸時代から明治時代に出生したお坊さんですよ。多分いないと思います。お恥ずかしい話ですが私も覚悟できてません。だからこそ悔いが無いように生きたいとは思っています」
と教えて頂きました。
坊主になる前に横浜のパッチアダムスと呼ばれている精神科医の先生に「繋驢橛」(けろけつ)という言葉を教えてもらいました。
驢馬が橛(けつ=くい)に繋がれていてグルグル回り縄が絡まって同じ所から動けない状態をさす禅の言葉だと習いました。
思考が堂々巡りになった時は深呼吸して手離して他の事をしなさい、心理学ではタッチアンドリターンと言って物理的に壁なり机に触るのでもかまいませんよ。物理的に気分転換するのです。と、習いましたけれど余程訓練されてないと出来ません。
私が常々「ケセラセラなるようになる」というのは私自身が堂々巡りで同じ所をグルグル回る人間なのでなるようになると腹に力を籠めて生き延びてきたからです。
ただ、胸が痛くなって救急搬送された時に病院で診て貰った時に
「胸の痛みは肋間神経痛の疑いですが、貴方の心臓は〇割りしか動いてません」
と言われました。
それでも死ぬ覚悟は出来てません、むしろまだ死にたくないと泣きわめきそうになります。先日大学の授業前に食事していて強烈な動悸が来て
「このまま逝くのかなぁ 朝定食べてて嫌だなぁ まだ生きたい…〇〇〇さんに30代心の支えになってくれてありがとうございますって伝えて無いし…國府田のマリ大姉が私より先に逝くなと約束しているし」
と、冷や汗垂らしながらタッチアンドリターンして題目と金剛寿命陀羅尼唱えていました。
疎遠になっている得度寺の兄弟子もガンで大変だと人づてに聞きましたが、あの御上人ならちょっとニヤッとしながら
「み仏に下駄を預けてやる事をして用事が済めば次の場所へ行きますよ」
といいそうだなぁと思ったり。何年も連絡とって無いからしらんけど…
心不全だった今東光大僧正はかみほとけは無意味に生かさないし、殺しはしませんと説いておられますし。今東光大僧正みたいに平気な顔して氷水頭からかぶれる度胸は無いですしね。
極道辻説法で水間寺のトラブルで樽に張った氷水の氷割って水かぶったって話、ネタにしてもと今東光全年譜開いて見たら水間寺のトラブル出てくるの64歳何ですよね…三昧の境地に入ればそれもまた出来るのかもしれませんが…
日蓮大聖人の説く法師の皮を着た畜生なのでね 有り難い話も出来ないし でも神仏は生かしておく価値があるから今もこうしてグダグダ生かさせていると思うので書いています。
がむしゃらじゃなくていい いまのやり方がある 君はもう大丈夫 誰とも違うんだから
世界はまだ君を知らない 國府田マリ子
マリ姉のお言葉を胸に秘めて今日も生きていきたいと思います。
覚悟も出来ていないし、悟れそうも無いから坊主やってます。誰かを幸せにしたいと言うより仏様におすがりして一緒に生きていける仲間がいればいいなと思う位です。天邪鬼なんで去っていったあの人の幸せを祈りながら…
いつも通りグダグダな話で終わります。
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